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  レポート第4弾(2012年1月)
おばぁちゃんと育てる、雑穀栽培の一年
~「ばぁは何もやんねぇの。神様がやってけたの。」編~

近年「健康食」「自然食品」として雑穀類が大人気。
岩手県は良質な雑穀産地として全国に知られています。

岩泉町においても昔から雑穀の栽培が行われていますが、
「特産品化」とか「生産振興」という言葉とはちょっと違う、
大自然のゆったりとした時間の中で雑穀が育てられています。

「雑穀の魅力って何なんだろう?」
雑穀を育てるサキヨばぁちゃんの一年を追いかけました。
(写真は主にヒエです。)
岩泉の厳しい自然の中で受け継がれた雑穀栽培の歴史

 ばぁちゃんは大正15年生まれ。19歳で今の家に嫁いできましたが、実家には兄弟が10人もいて、牛守り(短角牛の放牧監視人)と炭焼きで生計を立てていたそうです。ばぁちゃんが子どもの頃は、どっこの家でもヒエやアワ、大豆を作り、秋になると100以上のヒエ島が畑に立ちました。畑仕事は子ども達も手伝いますが、親に怒られたとき、ヒエ島の中に隠れて泣いていたことも懐かしい思い出です。
 岩泉町で雑穀栽培が盛んだったのは、稲作に不向きな土地柄にもよります。北上山地の山々がどこまでも続き、平地が少なかったために、田んぼができませんでした。また、「やませ」と呼ばれる冷たい季節風も、米作りを妨害し、時に冷害(飢饉)をもたらしました。ヒエ・アワ・キビなどの雑穀類は、比較的冷害に強く、傾斜地の焼き畑でも栽培ができた上、長期間の貯蔵ができたので、正に「命の糧」として栽培されてきたのです。

 さて、昭和40年代になるとばぁちゃんちにも田んぼができ、また、本格的にたばこ栽培をするようになりました。しばらく雑穀栽培とは離れていましたが、おじぃさんに先立たれ、牛もたばこもやめてから、10年ほど前に再び雑穀栽培を始めました。
「トトッ、トトッ」とトトが鳴いたら種播きです。

 雑穀の「雑」とは「その他いろいろ」という意味があるのでしょう。つまり、お米や小麦など「主な穀物」ではない穀物のこと。「雑穀なんて、雑草みたいにばらまいておけば育つんでしょう?」と思うかも知れませんが、とんでもありません。小さな粒を大地に無数に播いて、間引きし、土寄せし、雑草を抜いてやらないと、立派に育つことができないのです。種まきは八十八夜の頃、「トト」が鳴いたら始めます。「トト」が何という鳥なのかわかりませんが、「トトッ、トトッ」と鳴くそうです。
 まずは傾斜に沿って畝を立て、畑を整地します。種を入れたバケツを左手に持ちます。右手で種を掴むと、少しずつ、パラパラと足下に播きます。この時、種が多すぎると後で間引きの手間がかかり、少なすぎると小さいときに風で倒れたり、収量が減ってしまいます。次に足でそおっと土をかけ、優しく踏んでいきます。この絶妙のバランスが、熟練の技なのです。

 適度な雨が降れば、種まきから1週間もすると小さな芽を出します。久しぶりにばぁちゃんを訪ねると、「ヒエがめんごくおがったの。(かわいく芽をだしたの。)」と嬉しそうに話してくれました。
神様のいる畑は、いつもきれいに管理されています。

 雑穀に限ったことではありませんが、同じ作物を毎年同じ畑に播くと土の栄養バランスが壊れ、育ちが悪くなったり、病害虫が発生しやすくなります。(これを「連作障害」と言います。)そこで、ばぁちゃんは大豆などの豆類・大根などの野菜類・雑穀の畑を毎年交換しています。(「輪作」)つまり、ある畑について見ると、2年間で2つの作物ができます。(厳密にはジャガイモと大根など、複数の野菜を育てています。)
 ばぁちゃんが子どもの頃は、「2年3毛作」という輪作体系が一般的でした。1年目に雑穀を播き、秋に刈り取った後、すぐに麦を播きます。春になって雪が解け、「トト」が鳴く頃になると膝丈ほどに伸びており、この麦の間に大豆を播きます。すると大豆は鳩などの鳥に食べられることなく、無事発芽します。6月末に麦を刈り取ると、麦畑は大豆畑に入れ替わります。大豆などの豆類は空中の窒素を固定する働きがあるので、翌年の雑穀のための肥料を蓄えてくれるのです。ちなみに、雑穀の藁や大豆の殻などは、牛の餌や敷きワラとして余すところなく利用されていした。

 さて、雑穀たちは日増しに背を伸ばします。間引き、土寄せ、草取りと作業は休む間もありませんが、日中ばぁちゃんを訪ねると、「さぁ上がって、お茶っこ飲んで。」「最近などだのぉ?」とのんびりしています。実はばぁちゃんの勤務時間は日の出とともに始まり、日中の暑い時間は家でのんびりしているのです。その証拠に、畑の片隅では引き抜かれた雑草たちが太陽に焼かれ、畝の間にはばぁちゃんの足跡が残っています。
 ある日、雑穀畑を見に来た生協の方が、「おばぁちゃん、畑きれいにしていますね。これだけ広い畑を管理するのは大変でしょう?」と言いました。
 これに対するばぁちゃんの答え。 「ばぁはやんねぇの。みんな神様がやってけたの。うひひひひぃ~」
 思わず、「ばぁちゃんは神様か!」と思いました。
スズメと戦い、台風に耐え、立派に実った穂が風に揺れています。

  お盆を過ぎると空には秋の気配が漂い始めます。収穫期の早いキビは実が膨らんできましたが、これからはスズメとの戦いになります。昔はどこの家でも雑穀を作っていたので、スズメも散らばっていましたが、今では村中のスズメがばぁちゃんの畑に集まってきます。鳥よけの網を掛けたところは何とか防げますが、網がないとほとんど食べられてしまいます。
 アワもヒエも実って穂をたらすようになると、今度は台風の心配が出てきます。台風ばかりは防ぎようがなく、神様に祈るしかありません。春からどれだけ一生懸命育ててきても、どうすることもできない運命が、雑穀にはあるのです。

 台風は見事直撃、それでも茎をしならせて、何とか刈り入れの日を迎えることができました。キビは8月下旬、ヒエは9月中旬、アワは10月の初め頃刈り取って乾燥作業です。キビ・アワはハセに掛けて干すのが普通ですが、ヒエは昔から「島立て」という方法で乾燥させます。遠くから見ると「畑の番人」のように見えて可愛い「ヒエ島」ですが、これを立てるのは本当に大仕事です。倒れないようにバランスを取ることも大変ですが、一番大変なのは鳥害を防ぐため「フタ」をすることです。ばぁちゃんは、小さな身体でどうして上手にできるのですか?

 十分に乾燥した雑穀は、木槌や「マドイリ」などで脱硫し、唐箕で選別し、一年の作業が終了します。水車や「水バッタ」で精白(お米で言う精米)して、ようやく食べられるようになるのです。ばぁちゃんの雑穀栽培、本当に手間のかかる重労働です。こうやっておばぁちゃんたちが一生懸命育ててくれた雑穀を、今日も一粒も残さずに、大切にいただきます。
岩泉産雑穀類(ヒエ・アワ・キビ等)は全国のお客様へ通信販売可能です。
お問い合せは、㈱岩泉産業開発 通販係まで
0120-123-088(フリーダイヤル)
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※岩泉町の雑穀生産者は高齢な方がほとんどです。
 急に畑に押しかけてご迷惑をおかけすることがありませんようお願い申し上げます。
 (サキヨばぁちゃんも85歳になり、静かに暮らしています。)
 

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