岩手県岩泉町から、北上山地の森と海と大地の恵みを全国へ。道の駅「いわいずみ」「三田貝分校」も運営しています。
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■■肉牛?乳牛?牛もいろいろ 
 家畜として飼われている牛には、牛乳を搾るための乳牛と肉にするための肉牛があります。乳牛の代表が白黒まだら模様の「ホルスタイン種」で、肉牛の代表が霜降り肉で有名な黒毛和種です。(ホルスタイン種でも牛乳を出さないオス牛は肉用に育てられ、「国産牛」として出荷されています。)
 肉用牛には「アンガス種」など外国の牛もいますが、日本古来の肉専用牛を「和牛」呼び区別しています。和牛には次の4種類の牛がいますが、その9割以上が「黒毛和種」です。
 
   「和牛」一覧  
黒毛和種 前沢牛、松阪牛などのブランド牛のほとんどが黒毛和種です。
日本短角種 寒さに強く子育て上手。赤身の美味しさには定評があります。 
褐毛和種  主に高知県と熊本県で飼育され、山の麓などで放牧されています。 
無角和種  山口県でごくわずか飼育されている希少な和牛です。
■■「短角牛」ってどんな牛?
南部牛から短角牛へ
 正式な名前を「日本短角種」と言いますが、地元では「短角牛」や「赤ベコ」として親しまれています。
 短角牛のルーツは、藩政時代に南部藩(今の岩手県北部~青森県東部)で飼われていた「南部牛」にあります。南部牛は主に三陸沿岸の海産物や塩、鉄などを内陸に運び、内陸からお米やお酒、生活物資を運ぶ“荷役牛”でした。岩泉の急峻な山を越えるには、傾斜に強く従順な南部牛が最適だったのです。
 当時南部牛一頭が運ぶ荷駄は30貫(約113kg)が標準で、6~7頭で一群(ひとたづな)が編成され、「塩の道」と呼ばれる小本街道を3~4日の行程で荷物を運びました。この道中唄った民謡が「南部牛追い唄」です。
 明治時代になると産業構造の変化や流通網の発達から荷役牛の役割は減少し、都市部では食生活の変化から肉用に牛が育てられるようになりました。明治4年、アメリカから岩泉町にショートホーン種(短角種)が導入されると南部牛との交配が行われるようになりました。当時は横浜から輸入牛を仕入れたそうですが、山深い岩泉から汽車を乗り継ぎ牛を買いに行った先人の苦労は、数々の逸話となって伝えられています。

【短角牛の特徴】
 日本短角種は和牛全体の1%にも満たない稀少な牛で、北東北と北海道で1万頭弱が飼われています。その半分が岩手県で飼われており、特に岩泉町、久慈市山形町、二戸市は全国有数の産地です。
 短角牛の特徴は、寒さに強く、放牧に適した強靱な身体を持ち、泌乳量が多く子育てが上手なことです。
黒毛和牛の肉が脂肪分の多い“霜降り肉”になるのに対し、短角牛の肉は低脂肪で滋味深い赤身肉となります。これは短角牛の遺伝的な特徴と、「夏山冬里方式」と呼ばれる飼養方法が深く関わっています。短角牛は地域の人々の努力によって、岩手の厳しい自然条件に適応するように、長い年月をかけて作り上げられました。
 
 ■■発祥の地・釜津田、伝統の暮らし・安家 
【岩泉町釜津田(かまつだ)】
  岩泉町の南東部・釜津田地区は、藩政時代から優良な南部牛「釜津田牛」の産地として知られていました。明治4年にショートーホーン種が導入され、南部牛との改良が行われますが、明治10年に開催された第1回内国勧業博覧会(万博)には「陸中国釜津田村産牡牛」が出品されています。
 釜津田地区は昔から改良意識が高く、優良牛の生産に努めてきた歴史があり、短角牛発祥の地としての意識が若い生産者にも受け継がれています。
 
 【岩泉町安家(あっか)】
 深い森に囲まれた安家地区も明治時代から短角牛が飼養されており、現在でも独自の食文化を保ちながら山の暮らしが伝えられています。
 安家地区の最高峰・安家森(1,239m)の麓の草原では、伝統的な短角牛の林間放牧が行われています。明治時代から続く林間放牧ですが、平成3年の輸入自由化以後、必ずしも効率の良くない林間放牧は中止されました。しかし、平成12年、短角牛のいる素晴らしい山の景観を取り戻すため、地区の有志「安家森の会」が林間放牧を復活させました。この取り組みは、全国から100名を越える「林間放牧サポーター」によって支えられています。
 
 
 

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